ジーンズの聖地・児島を知る -part1-

ジーンズ

岡山県倉敷市児島。

ここは、国産ジーンズ発祥の地といわれています。

今回から2回に分けて、いまや”世界の児島”といわれるほど世界的なジーンズの聖地である、児島にフォーカスしてみたいとおもいます。

第一弾の今回は、国産ジーンズ誕生物語です。

倉敷市児島のはじまり

かつて、児島のあたりは文字通り島だったといいます。

江戸時代初期に干拓により本土と陸続きになりました。

干拓地では、土に塩気がありすぐに米作りができず、変わりに塩気に強い綿花が盛んに栽培されました。また、当時の児島地域は、耕地面積のわりには労働力が豊富で、それを利用して、綿花から糸を紡ぎ、機を織り、付加価値をつけて綿織物にして売るようになりました。こうして、児島地域の繊維産業がはじまったといわれています。

その後、帯ひもや足袋を生産し、和服の繊維製品のまちとして発展した児島にも、大正から昭和の時代の変化とともに、洋装の波が押し寄せます。それまでの足袋などの複雑で高度な縫製技術を活かし、学生服、作業服の生産をはじめます。また、それに伴った染色、染色及び織物整理業、ミシン販売、ボタン製造などが併せて盛んになりました。学生服にいたっては、昭和初期の最盛期、国内9割のシェアを誇っていたといいます。

当時の児島産学生服の強みは、なんと言っても「気心地がよく丈夫で安価」だったこと。それを実現できたのは、学生服生産のための紡績から織、染め、縫製までを一貫生産体制が、地域に根付いていたからです。

戦後1960年頃から、合成繊維が開発され、国内繊維生産の分業化がすすむと同時に、消費ニーズにも変化がおこります。児島が培ってきた紡績から縫製までの一貫生産が崩れ始めるのでした。

国産ジーンズ、倉敷市児島で誕生

時は戦後日本。駐屯したアメリカ軍GHQが穿いていたことで人気を博していたジーンズ。東京上野のアメ横では、古着のジーンズでさえ、飛ぶ鳥を落とす勢いで売れていました。

そのことを知った衰退危機にあった児島の繊維工場関係者。自分たちが培った繊維技術を活かしてジーンズをつくれないわけはない、と考えます。

生き残りをかけた一大チャンスです。

しかし、ゼロからのスタートは険しい道でした。

既成のジーンズをばらしパーツごとに分解することから始めます。

ふたを開けてみたら、想像以上のパーツの数です。

よくよく調べると、立体縫製されていることがわかるのでした。

またデニムの染色は中白といわれる、糸の中心まで染めきらないユニークな手法。染めの色は再現できたとしても、デニムの特徴でもある中白の染め方はわかりませんでした。

さらに、問題がデニム生地の厚さ。14オンスのデニム生地を作ろうとすれば、それまで児島で作ってきた学生服の2倍の目付け(生地の重さの単位であり、厚さの基準)であり、第一、14オンスを織ることができる織機がなかったのです。

そこで、生地を輸入し、縫製のみを試みます。

が、ここでも問題発生。生地が厚すぎて、ミシンが壊れてしまったのです。パワーと針が生地に負けてしまうのです。ここは児島。まだ手があります。今度はミシン開発も試みました。が、はやり、上手くいかず、結局ミシンも輸入することに。

ようやく1965年4月。国内で縫製されたジーンズの第一号が発売されました。こうして、児島は「国産ジーンズ発祥の地」と言われるようになったのです。

江戸時代から続く伝統と、ジーンズという新しさが共存した繊維産地である児島。学生服のような集団で着用する服から、自由な服装の代名詞でもあるジーンズまで、幅広い製品を生産し、地域の繊維産業を発展させ、今に継承しています。これは、児島が培ってきた技術の高さ、人々の努力、そして信頼ある品質の賜物であり、なにより、児島の懐の深さの現れともいえます。

次回は、世界の児島の技と品質に迫りたいとおもいます!

外部参考リンク:

岡山県の繊維産業(pdf)by岡山県

国産ジーンズ発祥の地、児島by倉敷市児島 観光・産業情報サイト「こじまさんぽ」

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